2026年4月23日

口ごもるウェブアクセシビリティ

ウェブアクセシビリティを向上させることについて、クライアントと話をしたり、セミナーなどでお話をすることがある。

そのとき、わたしはいつも口ごもってしまう。はっきりと言えず、あたまの中で言葉が回転して、口まで降りてこないような、語りにくさを感じる。

一般的にウェブアクセシビリティの話となると、なぜか「障害のある人」の「困りごと」を出発点にしがちなのではないか。

たしかに、目が見えずにスクリーンリーダーを使っている人、弱視で画面を400%に拡大している人、感覚過敏で光を眩しく感じる人。そうした方々と出会い、どういったリアリティを生きているのかを知ることは大切だし、わたし自身、そういった方々と出会い、会話をするなかで大きな影響を受けている。でもそれは、わたし自身の経験ではない。

代弁することは、かれらが自分で語る機会を構造的に奪いうるし、感覚や考えの誤配にもつながる。そもそもわたしとしては、誰かの代弁者としてウェブアクセシビリティに取り組んでいるわけではない。

では「当事者」に登場してもらえばいいかというと、そう単純でもないと思う。「当事者」はひとりではないし、ひとつのカテゴリでもない。カテゴリとして限定してしまうことは、むしろ問題になりうる。

社会学者の岸政彦は、著書『はじめての沖縄』のなかで、「差別とはまずもって線引なのだ」と書いている。

「視覚障害の人はこうやってウェブを使う」「ユーザーはみんなこう思うはずだ」のような大きな一括りで線引することはとても危うい。

「視覚障害のある人」という言葉の解像度を上げていくと、見え方には一人ひとり異なる感覚があるし、経てきた経験もまるで違う。

聞こえない人のなかには、ろう文化を自分のアイデンティティとして生きていて、それを障害だとは捉えていない人もいる。

だから誰かひとりに登壇してもらったとして、その人が「ユーザー」を代表できるわけがない。障害があろうとなかろうと、代弁の問題は発生する。

ウェブアクセシビリティを一人で考えるべきではないが、ユーザー全員で考えることもできない。

矛盾するようだけど、わたしが行う情報設計の仕事では、さまざまなユーザーの当事者性を自分のなかに想像し、演じながら設計することを心がけている。

ペルソナをつくり、カスタマージャーニーを検討し、ユーザーテストを繰り返し、観察し、ユーザーの経験を自分のなかに可能な範囲で取り込んで画面に反映する。

そのとき着目すべきは、もちろん「障害のある人」だけでもないし、「困っていること」だけでもない。

ペルソナは何を楽しいと思っているのか、どんなモチベーションで行動しているのか、どんなリアリティを生きているのか。

デザインは問題解決だと思われがちだが、その先にある心地よさや楽しさまで想像して、初めて設計になる。クライアントのご要望とユーザーの感覚のあいだに立って、情報を設計する。

しかし、ウェブアクセシビリティを語る場面になると、この行為が「代弁」の問題を帯びる。しかも、たいてい「困っていること」に注目がいき、当事者は「困っている人」として固定されてしまう。

障害があろうとなかろうと趣味嗜好があり、欲望があり、日常がある。全体を見ずに困りごとだけを代弁するのは、当事者性のごく一部だけを切り出して借りてしまってはいないか。

そんなこんなでパラドックスに陥って、回避しようとしているうちに言葉遣いが抽象的になり、結局わたしはぼんやりしたことを言っている人になってしまう。

さてウェブアクセシビリティを語る難しさ。そこに苦戦しながら、アクセシビリティアドバイザーの伊敷さんと登壇したセミナーの動画が公開されました!よければぜひ、ご覧ください。

参考
岸政彦『はじめての沖縄』新曜社、2018年、19頁。