先日、スーザン・ソンタグの「反解釈」を読み返していたのですが、現代において「解釈」というのはますますおもしろいテーマだなと感じました。
ソンタグは1964年に、芸術作品を「意味」に還元することを批判しました。作品が何を意味するかではなく、それがどう感じられるかを大事にしよう、と。解釈とは知性が芸術に対して行う復讐なのだ、というようなことを痛烈に語っています。
ところで60年後の現在、状況は奇妙にねじれている気がします。映画やアニメの「考察動画」が溢れ、インフルエンサーたちが作品の「真の意味」を競って解説しています。ソンタグが批判した「解釈の過剰」は、いつの間にかコンテンツ産業として成立していました。
さらに面白いのは(面白いのかな…)、その解釈動画すら倍速で消費されていることです。作品を味わう時間を省き、解釈を味わう時間すら倍速で済ませる。これはもはや「反解釈」というより「半解釈」かもしれません。
このパラドックスを前に、解釈を止められない私たちは、一体どこへ向かっているのでしょう。
この記事は旧ブログより転載したものです。
萩原俊矢「「反解釈」と考察動画と倍速消費のこと」Paragraph, 2026年1月28日. https://paragraph.com/@shunyahagiwara/「反解釈」と考察動画と倍速消費のこと