2026年1月29日

非説明的なUIを構想する

仕事がら「ユーザーとインターフェイスのあり方」について考えることが多いのですが、ここ数年、ぼんやり考えているテーマがあります。

わたしたちデザイナーが「わかりやすく直感的なUI」を目指すこと——これはもうほとんど疑われることのない正解になっています。わたし自身も、わかりやすさやシンプルさを大切にして仕事をしてきました。

でも、直感的で迷わないUIによってユーザーをアフォードするということは、良いことばかりなのだろうか、と思うのです。

ローレンス・レッシグは「コードは法である」と述べました。デザイナーやエンジニアがつくる「コード」は、ユーザーができること・できないことを決めてしまう。ワンクリックで購入、スワイプで承認。便利ではあるけれど、それは同時に、わたしたちの能動性を奪っているようにも見えます。

スーザン・ソンタグは1964年の「反解釈」で、芸術作品を「意味」に還元する批評のあり方を批判しました。作品が何を意味するかではなく、作品そのものをどう感じるか——その感覚的な体験を取り戻そう、と。

これをUIに置き換えてみます。直感的UIは、インターフェースを「タスク完了のための道具」に還元しています。使いやすさとは「意識させないこと」であり、体験そのものは心地よさに向かっていく。でも、その心地よさの裏側で、わたしたちは誘導されているのかもしれません。

ソンタグが「解釈」に抗ったように、「効率」に抗うUIはありえるのでしょうか。仮にそれを「非説明的UI」と呼んでみます。

ハンブルク美術大学のKlasse Digitale Grafikでは、実験的なウェブデザインを探求しています。彼らが手がけるサイトは、一見「使いにくい」。でもそれは、効率や商業一辺倒のウェブデザインに対するひとつの批評でもあるのです。

ただ、こうした実験的デザインは、アクセシビリティという考えを置いてけぼりにしがちです。わたしは最近、デザイナーが100%コントロールするのではなく、ユーザーに40%くらいゆだねるのもいいのかな、と考えています。文字を大きくしても、モノトーンでも、キーボードでも操作できる——そういう余白を残すデザイン。

説得もしないし、排除もしない、そして特に効率的でもない。そんなUIは可能なのでしょうか。

この記事は旧ブログより転載したものです。

萩原俊矢「非説明的なUIを構想する」Paragraph, 2026年1月29日. https://paragraph.com/@shunyahagiwara/非説明的なUIを構想する